第一部 日韓神話の共有性と古代史の感応

熊谷次郎直実
熊谷次郎直実

第一部 日韓神話の共有性と古代史の感応 五、日韓感応の祕話

百済の階伯将軍と朴堤上、熊谷次郎直実と調吉士伊企儺

謡曲「敦盛」を諸兄は知っておられるだろうか。一の谷の合戦で平家が敗走する中、熊谷次郎直実は一人の武将と一騎打ちとなり、首をはねようとして、兜をもぎ取ると、16 ~ 17 歳位の若武者であった。直実は息子の小治郎が今朝、この合戦で負傷したことを思い、その若者の父親が息子の戦死を聞いたらどんなに嘆くだろうと思い、若武者を殺すことをためらう。

続きを読む

第一部 日韓神話の共有性と古代史の感応 四、百済への救援と亡命者の受け入れ

日本人の共感を呼ぶ亡国の悲劇

朝鮮では百済、高句麗、新羅の三国鼎立時代が 1 世紀から 600 年間続いた。日本との関係は百済が特に深かったのだが、660年、唐、新羅連合軍によって滅亡する。百済のラストエンペラーとなったのが義慈王(在位 641 年 - 660 年)だ。即位後すぐに新羅を攻め戦果を挙げたが、やがて酒色に溺れるようになった。忠臣の成忠(あるいは浄忠)はこのことを激しく諫言した。 王は耳を貸さず成忠を投獄する始末。成忠は獄中からも遺書を書き諫言をした。それでも王は見向きもせず、諫言するものを流刑に処した。ついに唐の高宗は蘇定方を大提督に任命して、13 万の大軍で侵攻を開始する。連合した新羅の武烈王も金将軍に命じ、5万の軍を率いて百済を目指す。

続きを読む

第一部 日韓神話の共有性と古代史の感応 三、百済は日韓交流のモデルたりうるか

百済・聖明王の鎮魂と仏教伝来謝恩碑

 「日韓交流二千年を通じて、理想に時代があったとすれば、それは百済時代であろう。日韓はこの時代をモデルにしたいものだ」―名越二荒之助 日韓共鳴二千年史50頁冒頭より

続きを読む

第一部 日韓神話の共有性と古代史の感応 二、日韓に生きる王仁博士

1600年を越えたブーメラン現象

世阿弥元清の「難波」は、大鷦鷯の帝(おおささぎのみかど)とその弟、菟道稚郎子(うじのわきのいらつこ)の兄弟間の悲劇を題材にした謡曲だが、王仁博士が大鷦鷯の帝(仁徳天皇)へご即位を促して歌ったとされる歌が以下だ。

続きを読む

第一部 日韓神話の共有性と古代史の感応 一、日韓神話の共有性

日本神話と檀君・駕洛神話

神話は単なる架空の物語ではありません。原始時代にあれだけの物語が生まれ、今も語り伝えられています。その背景には、体験から生まれたロマンや、民族固有の発想等が秘められています。それだけにその後の歴史や習俗や精神生活に、大きな影響を与え続けています。だから日韓関係を理解する場合、両国の神話の世界に思いを馳せることは、大きな意義があると思います。日韓共鳴二千年史―これを読めば韓国も日本も好きになる 32頁冒頭 ―名越二荒之助

続きを読む

第一部 日韓神話の共有性と古代史の感応 ガイドライン 外来文化を受容してきた日本と韓国

日本が受け入れたのは韓国文化だけではない

崔南善は日本統治下の朝鮮で、1919年3.1運動を組織して、独立宣言文を起草している。その後逮捕されたが、やがて転向して満州の建国大学教授になった。満州に跋扈する共産分子の批判活動を展開し、日本が支那事変から大東亜戦争に突入すると、聖戦の意義を説いて戦意高揚に貢献する。しかし戦後は再び転向して日本批判を始めた。彼が終戦後書いた「朝鮮民族独立運動史」にはこうある。

続きを読む