第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ


安重根と伊藤博文
安重根と伊藤博文

第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 統括

1910年の日韓併合から100年目の2010年、政府民主党は統治に対する謝罪をする考えを表明している。「日本は韓国側が希望する形で謝罪を行うことを希望しており、謝罪によって歴史問題に一定の終止符を打ちたい考えだ」ということらしいが、その前に政府は謝罪が必要なら何故必要かを国民に周知する必要がある。私はむしろこの100年を機に日本への「感謝」要求を韓国にしてはどうかと思う。韓国を最初に独立国として国際的に承認したのは日本であるし、ロシアの侵略から護ったのも日本である。

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第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 十一、相互感応史の提唱

日韓・歴史共同研究をめぐって

外務省が主催している日韓歴史共同研究が今年の3月23日、第2期分の報告書を日韓文化交流基金HP上で公開している。内容を総て読んでいないので研究についてのコメントはしないが、日韓共鳴二千年史―これを読めば韓国も日本も好きになるで、著者は朴正煕大統領の側近金鍾泌元首相の「歴史を共有することは馬鹿げている」いう言葉を引用している。

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第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 十、親日的愛国者・李容九の生涯

内田良平・武田範之・宋秉畯らと共に

日本の明治維新にも勝者と敗者のの悲劇があるようにアジアに夜明けの胎動にも同様な悲劇と悲劇の人がある。いずれも日本に国家独立のひな型を見て、その日本と手を組んで国を導こうとした人たちだ。中国では汪兆銘であり、韓国では李容九である。汪兆銘夫妻は売国奴として座像にされ、いまでも道行く人が唾を吐いて罵倒できるようにしている。

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第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 九、安重根と伊藤博文

二人の合同慰霊祭を営む心で

伊藤博文と安重根は日韓関係において過去も今後も一番のテーマだと思う。著者も書いているが、韓国人に韓国の偉人を聞くと、李舜臣将軍とともに必ず名前が上がるのが、安重根義士である。日本側から見れば伊藤博文公を暗殺した殺人者である。この両者の両国の評価は常に割れることは当然であり、またこの両者を相互に理解することこそ、日韓の和シテ同ゼズの共感的理解を促進する近道なのだと思う。

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第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 八、高宗皇帝の退位と義兵闘争

終戦時の昭和天皇と対比して

列強がアジアを本格的に侵食し始めた19世紀後半の日本と韓国の対応は対照的だ。明治維新を断行していち早く近代化し、武備を整え独立を維持しながら対抗した日本と、相変わらず旧態依然と事大主義に陥り、独立を朝野で熱望する日本をよそに、反日侮日世論を国内で煽り立てて独立の気概を忘れ、清国やロシアに阿る李氏朝鮮政府というコントラストが、近代アジアに与えた遺恨は今も続く。その朝鮮側に於いて中心にいたのが、第26代国王(のち皇帝)高宗である。

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第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 七、韓国不滅の民族運動

―さらに崔益鉉と羅寅永らに見る

崔益鉉は明治9年(1876年、44歳)江華条約が締結されるときに、これに反対をして彼は、「この条約を受け入れれば国が滅ぶ」という上奏文を書いて抗議をする。上奏文が受け入れられないときには、この斧で私を殺せ!と王宮の前に三日三晩座り込んだ。訴えはむなしく、条約は締結され、彼は3年間島流しになる。一時高宗はかれを政府顧問の要職で王宮で奉仕したが、晩年は故郷の京畿道抱川で儒学を教えていた。しかし73歳の時、日韓保護条約が上程されると、再び韓国が滅びるという、条約締結反対の檄を書き、十三道の儒学者に決起挙兵を呼びかける。

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第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 六、日露戦争と日韓保護条約

一進会の積極協力と閔泳煥の自決

日清戦争(明治28年1895年)に勝利した日本だが、露・仏・独の三国干渉で遼東半島を返還することになる。さらに明治31年(1898年)ロシアは旅順・大連をドイツは膠州湾を、翌年フランスは広州湾を租借する。一方アメリカは1897年にハワイを併合、1899年にはフィリピンを占領する。日本は、これら列強の行為になす術もないのである。

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第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 五、大韓帝国の誕生と挫折

徐載弼の教育改革と失われた独立のチャンス

徐載弼は17歳で来日して福沢諭吉の薫陶を受ける。金玉均のクーデター(甲申事変)に参加して、日本に亡命、その後アメリカにわたり西洋医学の博士号を取得、アメリカ人女性と結婚して市民権も得る。

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第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 四、閔妃暗殺と高宗の「俄館播遷」

感動を呼ぶ李周會将軍・金弘集首相・禹範善親子の物語

乙未事変はいわゆる閔妃暗殺事件のことであるが、この顛末も一局を持って語れるほど単純ではない。この事件についての韓国側の教育の一端を、著書では著者が大学生を同伴して韓国を訪問した時のガイドの話として紹介している。

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第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 三、東学党の乱と日清戦争

民族運動の登場と独立自尊の教訓

東学党の東学とは、西洋キリスト教の学問「西学」に対比して、朝鮮の民間信仰と儒・仏・道教を一体化した「東学」を1860年崔済愚(水雲大師)が提唱した宗教運動を指す。崔済愚は同時に尚武の気風を起こし、武道や剣舞も奨励した。

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第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 二、壬午の軍乱と甲申事変 コラム②

コラム②福沢諭吉「脱亜論」の真意

福沢諭吉の『学問のすすめ 』の冒頭にある「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という一文は有名である。人類平等を謳ったと今の偏向教育では教えているが、それでは不十分であり、福沢の真意はそんなに浅くないと著者である名越先生は指摘している。『学問のすすめ 』には「されど世に貴人あり、下人あり、富人あり、貧人あり」という文章があり、それに続き、差別が起こっているのは何故か、と問いかけて、その理由に「学ぶと学ばざるとによりできるものなり」としている。だから学問のすすめ なのである。

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第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 二、壬午の軍乱と甲申事変

大院君の再登場と金玉均の乱

さて明治9年(1876年)江華条約で開国した朝鮮政府は日本に若手政治家の金弘集らを派遣して、日本の発展と世界動向を調査し、西欧文明導入を本格化させた。しかし閔妃派は主導権を握っていた朝鮮政府のこのような政策に、儒学者などを中心とする伝統に固執する保守派の反対運動が盛り上がることになる。この運動の代表的人物として崔益鉉がいる。

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第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 一、征韓論と江華島事件

はじめに

日韓共鳴二千年史―これを読めば韓国も日本も好きになるを読みといて、日韓関係に一石を投じることができれば幸甚だが、著者はこの書籍の読み方として、このようなメッセージを残している。

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