第七部 かかる韓国人ありき[戦後編]


納曽利は古代朝鮮にルーツを持つといわれている
納曽利は古代朝鮮にルーツを持つといわれている

第七部 かかる韓国人ありき[戦後編] 六、戦前・戦中・戦後、日韓の友好に尽くした朴春琴

昭和7年と昭和12年、東京府4区から出馬して、衆議院議員に当選した朝鮮人がいた。朴春琴である。当時の日本は「一視同仁」の精神に基づき、戰前在住していた朝鮮人にも国政参加の選挙権を付与していた。

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第七部 かかる韓国人ありき[戦後編] 五、戦後の日本の原点は「終戦の詔勅」にある

日韓人協会の鄭時東理事長による「戦後日本」批判

韓日人協会理事長の鄭時東氏は昭和18年(1943年)日本で生まれた、いわゆる在日朝鮮人である。

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第七部 かかる韓国人ありき[戦後編] 四、北朝鮮・韓国・日本に生きる力道山

日本の英雄から、三国の英雄になった男

現在の北朝鮮にある龍源という村に金信洛は生まれる。後の力道山である。昭和16年(1941年)彼は序の口として番付にその名を載せる。 東十両4枚目のとき日本は敗戦を迎える。その5年後大関昇進を目前に控えた1950年、彼は相撲を廃業する。折しも朝鮮動乱の始まった年である。そして翌年の昭和56年(1951年)、サンフランシスコ講和条約・日米安保条約が調印される中、力道山はプロレスにデビューする。

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第七部 かかる韓国人ありき[戦後編] 三、日本伝統精神を非求した朴鉄柱

戦後、ソウルに「日本文化研究所」を設立した悲劇の知日家

朴鉄柱は1922年(大正11年)韓国釜山東莱生まれ、大東亜戦争下に皇典研究所を卒業、釜山龍頭山神社や下関住吉神社に奉職した。終戦後韓国に帰国したが、李承晩反日政権下でで苦汁を嘗め、「民族半額者裁判条例」で日本の学校卒業者はである彼は追放の憂き目にあう。

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第七部 かかる韓国人ありき[戦後編] 二、無名日本人の遺骨を合祀した金玄玉ソウル市長

「仏教伝来謝恩碑」建立二〇年式典での挨拶から

百済の聖明王が仏教を日本に伝えたのは、西暦538年である。そのことへの感謝の意を込めて国粋会会長の田中香穂氏が中心となって昭和47年(1972年)、百済の古都・扶余に「仏教伝来謝恩碑」が建立された。当時反日感情はが強く、新聞の論調はことごとく建立反対であった。韓国側の仏教関係者の中には、万一破壊されるようなことがあっては両国民の傷はいっそう深くなるであろうから、5年待って欲しいという意見もあったという。

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第七部 かかる韓国人ありき[戦後編] 一、国境を超えて生きる師弟愛

日本人の『篤行美談集』を著した林成洙と恩師を讃える金泳三大統領

林成洙は1924年(大正13年)朝鮮生まれ、朝鮮戦争後に国務総理室を皮切りに国家公務員として要職を歴任、退官後に韓国の若者たちを対象とした『善行・美談シリーズ』を出版、さらに『韓国と韓国人を愛した篤行美談集(日本編)』を出版した。この本は韓国に尽力した日本人の美談を170余篇集めたものである。

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