第一部 日韓神話の共有性と古代史の感応 一、日韓神話の共有性

日本神話と檀君・駕洛神話

神話は単なる架空の物語ではありません。原始時代にあれだけの物語が生まれ、今も語り伝えられています。その背景には、体験から生まれたロマンや、民族固有の発想等が秘められています。それだけにその後の歴史や習俗や精神生活に、大きな影響を与え続けています。だから日韓関係を理解する場合、両国の神話の世界に思いを馳せることは、大きな意義があると思います。日韓共鳴二千年史―これを読めば韓国も日本も好きになる 32頁冒頭 ―名越二荒之助

日本の神話はご存知の『日本書紀』『古事記』になる。若干の相違があるもののほぼ同じ内容である。一方、朝鮮に神話は大きく分けて五つある。古朝鮮の檀君神話から高句麗、百済、新羅、駕洛(伽耶、加羅)と時代地域で独立した神話がある。檀君神話では、天符印三個をもって白頭山に天孫降臨する。

 

駕洛神話では金首露王が亀旨峰(くじほん)に天降りる。「古事記」では「日向の高千穂の久士布流多気に」降臨されたとある。祖霊神が点から降りたという神話は南方民族にもあるが、日韓の内容が近似している。

 

第七部 かかる韓国人ありき[戦後編]の三、日本伝統精神を非求した朴鉄柱で紹介した、日本文化研究所の朴所長は、「韓国に神話は、五つに分離している。それに対して日本の神話は一つにまとまっている。そこが韓国の悲劇であり、日本を知る必要がある」と韓国と日本の神話を比較している。そして日韓の歴史をこう語る。

 

「豊臣秀吉の"朝鮮征伐"とか、日帝36年の韓国統治とかは、日韓の長い歴史からすれば派生的なことに過ぎない。一種の兄弟喧嘩のようなものである。日韓は相互に国家形成の原点に復帰して、理解を深めるべきである。」

 

日韓両国政府、国民はこの言葉を知るべきである。檀君神話は13世紀に、僧一念(普覚国師)がまとめた『三国遺事』に記されている。

 

古朝鮮王儉朝鮮 

魏書云 乃往二千載 有壇君王儉 立都阿斯達經云無葉山 亦云白岳 在白州地 或云在開城東今白岳宮是 開國號朝鮮 與高同時 古記云 昔有桓因 謂帝釋也 庶子桓雄 數意天下 貪求人世 父知子意 下視三危太伯 可以弘益人間 乃授天符印三箇 遣往理之 雄率徒三千 降於太伯山頂 即太伯今妙香山 神壇樹下 謂之神市 是謂桓雄天王也 將風伯雨師雲師 而主穀主命主病主刑主善惡 凡主人間三百六十餘事 在世理化 時有一熊 一虎 同穴而居 常祈于神雄 願化爲人 時神遺靈艾一炷 蒜二十枚曰 爾輩食之 不見日光百日 便得人形 熊 虎得而食之 忌三七日 熊得女身 虎不能忌 而不得人身 熊女者無與爲婚 故毎於壇樹下 呪願有孕 雄乃假化而婚之 孕生子 號曰壇君王儉

古朝鮮【王儉朝鮮】

 

『魏書』に云う。 すなわち二千載の往(いにし)え、壇君王儉(だんくんおうけん)有り、都を阿斯達【經に無葉山と云い、また白岳と云う。白州の地に在り。あるいは開城の東に在りと云う。今の白岳宮これなり。】に立て、國を開き朝鮮と號す。高(=堯/三皇五帝のひとり。)と同じ時なり。『古記』に云う。 昔、桓因【帝釋を謂う。】が庶子の桓雄有り、數(たびたび)天下を意(おも)い、人の世を貪求す。 父、子の意を知り、下に三危太伯(さんきたいはく/三危はみっつの高い山。太伯はそのひとつで、下に見える太伯山のこと。)を視るに、もって弘(ひろ)く人間を益すべきなり。 すなわち天符印(下に見える風伯・雨師・雲師の三神の印綬)三箇を授け、往(ゆ)きてこれを理(おさ)めしむ。 雄、徒三千を率(ひき)い、太伯山の頂【即ち太伯は今の妙香山なり】の神壇樹の下(もと)に降(くだ)る。 これを神市と謂い、これを桓雄天王と謂う。 風伯・雨師・雲師を將(ひき)い、穀を主(つかさど)り、命を主(つかさど)り、病を主(つかさど)り、刑を主(つかさど)り、善惡を主(つかさど)り、凡(すべ)て人間の三百六十餘事を主(つかさど)り、世に理化あり。

 

時に一熊・一虎有り、穴を同じうして居す。常に神雄に祈り、化して人と爲るを願う。 時に、神、靈艾一・蒜二十枚を遺わし曰く、「爾輩(なんじら)これを食い、百日日の光を見ざれば、すなわち人の形を得るべし」と。 熊・虎、得てこれを食い、忌むこと三七(=二十一)日。 熊は女身を得るも、虎は忌むこと能(あたわ)ずして人身を得ず。 熊女は婚を爲す無く、故に毎(つね)に壇樹の下に孕(はらむ)こと有らんと呪願す。 雄、すなわち假化してこれと婚し、孕みて子を生む。 號(なづ)けて壇君王儉と曰う。

 

もって唐高(=堯/三皇五帝のひとり。)の即位五十年庚寅(かのえ・とら)【唐高の即位元年は戊辰(つちのえ・たつ)。すなわち五十年は丁巳(ひのと・み)なり。庚寅(かのえ・とら)に非(あら)ず。その未だ實ならざるを疑う】、平壤城【今の西京なり】に都し、始めて朝鮮を稱す。 また都を白岳山の阿斯達に移す。 またの名を弓【あるいは「方」に作る】忽山、または今彌達という。 國を御(おさ)めること一千五百年。

 

周の虎王(周の「武王」のこと。高麗の二代・惠宋帝の諱が「武」であったため、武の字の使用を避けて「虎」と書いたもの)の即位己卯(つちのと・う)。 箕子(きし/末尾の註1を参照)を朝鮮に封ず。 壇君、すなわち藏唐京に移り、後に阿斯達に還り隱れ、山神と爲る。 壽、一千九百八歳。

 

唐の『裵矩傳』に云う。 高麗はもと孤竹國【今の海州】なり。 周の箕子を封ずるをもって朝鮮と爲し、漢は分かちて三郡を置く。 玄菟(げんと)・樂浪(らくろう)・帶方(たいほう)【北帶方】と謂う。 『通典』、またこの説に同じ【『漢書』はすなわち眞・臨・樂・玄の四郡。今は三郡と云う。名、また同じからず。何(いか)にや】。

 

面白いことに北朝鮮は大規模な檀君陵を国家総力を上げて建設していて、しかも、金日成主席は檀君の末裔を自認して「祖先の加護によって勝利を得た」と演説している。共産主義国家の北朝鮮が檀君神話を大事にしていることを、自由主義国家である我国の社会主義者たちはどう思っているのであろうか。金主席を見習ってはどうだろうか。韓国初代文教長官安浩昌はこのようにいう。

 

「朝鮮と韓国が統一するためには、お互い檀君に帰るよりほかない。金日成主席もかねてから檀君を尊重している。共産主義とか自由主義というイデオロギーを超えるには、国の祖先への回帰しかない。そのためソウルにある現在の『檀君聖殿』では国家の祭壇としては貧弱すぎる。日本の伊勢神宮や橿原神宮くらいの大聖殿を建てるべく、私が会長になって運動している」

 

檀君の降臨は「可以弘益人間」と弘益人間をすべきということだ。10月3日は開天節として国民の祝日になっている。釜山生まれの朴所長は檀君神話には否定的で、駕洛神話に親近感を持っているという。

 

「あれ(檀君神話)は高句麗の神話であり、渤海神話だ」

 

そして古事記に書かれた日本神話を重視していた。金首露王が降臨したのが亀旨峰(くじほん)で、ニニギノミコトが降臨したのが。「日向の高千穂の久士布流多気」(古事記)となっている。日本書紀では「高千穂の槵觸峯(くじふるのだけ)」と書かれている。

 

「くじふる」の"ふる"は韓国語で「村」を意味する。「くじふるたけ」は「亀旨村の山」を意味する。古事記には続けて、『此の知は韓国に向かひ…朝日のたださす国、夕日照る国なり。故にここはいとよき地』と書かれている」

 

「日本書紀には『任那』や『日本府』のことが、合計100箇所も出てくる。いかに駕洛国と日本との関係が深かったか。

韓国では現在(任那)日本府を否定するが、まあ日本は当時から大使館や領事館のようなものを置いていたと思えば間違いない」

 

朴所長はこのように古事記・日本書紀を解説した。

 

一念(1206年 - 1289年)は生きていたころの1231年、高麗は蒙古の襲来6回受ける。よく戦った高麗であったが最後は三別抄軍が珍島と済州島を拠点に抵抗したが、抗戦3年(1273年)全滅する。元に降伏した高麗は74年(文永の役)、81年(弘安の役)に元軍とともに日本に侵攻するが、2度とも台風に見舞われ惨敗する。

 

このような時代背景の中、一念は『三国遺事』を書いたである。内容は仏書に似ていて、古朝鮮以来の伝承を集約したものである。韓国の檀君への思いは深いものがある。韓民族の諸王朝の始祖は皆檀君であるという。別々の氏族が王朝を起こしたが、皆檀君の末裔だと信じてきた(金日成主席もそういった)。日本のように万世一系だと信じたいのである。

 

また日本には三種の神器が現在に伝わってる。八咫鏡は伊勢神宮、草薙剣は熱田神宮、曲玉は皇居三殿にある。ウイーン大学のL・V・スタイン博士は三種の神器についてこう語っている。

 

「人工的に作られたのではなく、開国以来の神器がいまも日本にあることは、千古一系の皇統の証明である。このような例は西欧諸国にはない。これこそは日本的国憲法の原点であり、世界の宗国としての資格を持つもの」

 

しかし檀君神話に出てくる「天符印三個」は鏡と剣と鈴と考えられていて、巫俗神事ではその三種が使われる。しかし恒雄が天神から授けられた「天符印三個」の行方はわからないである。