第二部 秀吉の朝鮮出兵と通信使 アジア史の中の秀吉と昭和の日本 ガイドライン 元・清の"大侵略"と対比して

征伐か出兵か侵略か

戦前は秀吉の朝鮮への侵攻は「征伐」と呼ばれた。もちろん侵略者ではない。しかし敗戦後「征伐」は消え、「文禄・慶長の役」と呼んだ。昭和 57 年の教科書騒動以後は「秀吉の朝鮮侵略」にかわり、秀吉は侵略者になった。一方韓国の教科書は他国を侵略した戦争に「征伐」を使っている。いずれにしても事実は一つなのになのである。

日本には強気の韓国なのだが、中共の侵略には触れたがらない。1950年の朝鮮動乱では韓国は国連軍16カ国の支援によって、僅か半年間で北朝鮮を鴨緑江の近くまで追い詰めた。韓半島統一一歩手前で、中共軍が介入して、3年間に及ぶ血みどろの内線が続き、多くの犠牲者を出した。

 

秀吉の出兵には今も恨みを忘れない韓国人だが、中国に侵略には何も言わない。どうしたことか?ベトナム戦争では述べ31万人を派遣した。ベトナムでは今も「韓国は"米帝"の手先になってベトナムを侵略した」と言っている。経済復興が一段落がついたら、抗議を行ない、謝罪要求をすると言っているが、韓国はどう対処するのだろうか。

 

東洋史から見た朝鮮出兵と日本帝国

一方台湾ではこの様に話す人がいるという。

 

「日本歴史史上最大の英雄は豊臣秀吉だと思う。百姓から身を起こして天下人になった。天下を統一すると、今度は民国を征服するために大軍を動かした。朝鮮の首都を占領ししたとき、秀吉の夢は大きく膨らんだ。朝鮮国王を人質として日本に移住させ、後陽成天皇を明の首都北京に招き、秀吉は南中国の寧波に居所を定めて、台湾、フィリピン、朝鮮、明国、天竺の経営に乗り出すつもりであった」

 

元や清は漢民族中国を長きにわたり支配したが(元はモンゴル、清は女真族)、それに比べ秀吉や日本帝国は中途で挫折した。東洋史レベルで見ればスケールが違う。秀吉の朝鮮出兵をダイナミックな視点からとらえるのが、第二部のモチーフである。