第二部 秀吉の朝鮮出兵と通信使 コラム⑬

長州、博多と朝鮮 その深き因縁

対馬藩通訳から八代将軍吉宗のころに毛利藩に転じた松原新右衛門が当時の朝鮮を語った資料があるという。それが面白い。

釜山の「日本館」の敷地は五百間(900㍍)に三百間(540㍍)もあって(広さ 15 万坪)百間四方もある大饗応場ができている。そこには日本人が 5 百人くらい住んでいる。
「日本館」から、日本の里程で 1 里半(約 6 ㎞)ばかり先に石碑が立っていて、日本人はそこから先に行ってはならぬ事になっている。
釜山周辺に豊臣秀吉の"朝鮮征伐"の時に築いた城がまだ残っていて、朝鮮政府で管理している。
朝鮮では支那の年号を用いている。
朝鮮には砂糖がない。
朝鮮ではいつも、臣下が二つの部族にわかれていて、一方を東方といい、一方を西方というが、今は東方が政権を握っている。日本の源氏、平氏と同じだ。(南北朝鮮の対立は戦後に始まったものではない)
朝鮮では子供がいたずらをすると"倭奴来(日本人が来た)"という。日本人に対する恐怖が、それほどしみこんでいるというのだ。
九州の五島の先に済州島というのがある。この島の住人はたいてい日本語を用い、日本の歌などをいたっている。今は朝鮮の領土となっているが、もともと日本から来たものが多く住んでいる。

 

長崎五島列島の先に済州島があり、福岡や長州からは朝鮮半島は目と鼻の先。百済滅亡時、多くの半島人が九州や周防に亡命したのであろう。閔妃暗殺事件に関与した三浦梧楼は高杉晋作の"奇兵隊"出身であったし、初代総監伊藤博文、二代総監曾禰荒助、三代総鑑寺内正毅や政務総監から中枢院議長の山形伊三郎など朝鮮関係者に長州人が多い。

 

民間では日韓合邦運動を推進した内田良平や頭山満は福岡出身である。このように長州出身者、特に奇兵隊出身者に朝鮮関係者が多かったのは偶然ではなく、彼らが百済やその後の時代の帰化人の子孫である可能性は否定出来ない。伊藤などは朝鮮の独立を心から望んでいたことは伊藤と安重根の稿でふれたい。そう考えればこの長州出身の政治家が、帰化人の末裔であっても不思議ではない。