第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 二、壬午の軍乱と甲申事変 コラム②

コラム②福沢諭吉「脱亜論」の真意

福沢諭吉の『学問のすすめ 』の冒頭にある「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という一文は有名である。人類平等を謳ったと今の偏向教育では教えているが、それでは不十分であり、福沢の真意はそんなに浅くないと著者である名越先生は指摘している。『学問のすすめ 』には「されど世に貴人あり、下人あり、富人あり、貧人あり」という文章があり、それに続き、差別が起こっているのは何故か、と問いかけて、その理由に「学ぶと学ばざるとによりできるものなり」としている。だから学問のすすめ なのである。

そして福沢は学問の心構えを説き、自らの探究心の中から形成される「独立自尊」の意志を培うことを強調する。さらに彼は「一身独立して一国独立す」と強調し、「もし一国の自由を妨げんとする者あらば、世界万国を敵とするも恐るに足らず」と痛論する。

 

この本に主題は、「人間平等」を訴えることではなく、「独立不羈(束縛されない独立)」の精神を強調することにあったのである。福沢は徐載弼ら40数人の留学生を自腹で受け入れ、独立自主の精神を説き、朝鮮の近代化に必要な洋学の振興と新聞発行の技術を伝授している。甲申事変の首謀者である金玉均もそうした福沢の薫陶を受けた一人なのである。

 

そうした福沢の薫陶を受けた若い政治家たちが起こしたクーデター「甲申事変」は閔妃の策謀で清国軍により3日で終ることになる。さらに閔妃らは日本公使館を焼き払い、多くの婦女子を暴行虐殺したばかりか、事変の首謀者らの一族郎党をも一網打尽にし、断罪に処したのである。福沢は事変の翌年、創刊していた「時事新報」に「脱亜論」を発表した。 

 

福沢諭吉
福沢諭吉

脱亜論全文 

世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し、至る處、草も気も此風に靡かざるはなし。蓋し西洋の人物、古今に大に異なるに非ずと雖ども、其擧動の古に遅鈍にして今に活發なるは、唯交通の利器を利用して勢に乗ずるが故のみ。故に方今当用に國するものゝ為に謀るに、此文明の東漸の勢に激して之を防ぎ了る可きの覺悟あれば則ち可なりと雖ども、苟も世界中の現状を視察して事實に不可ならんを知らん者は、世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて共に文明の苦樂を與にするの外ある可らざるなり。

 

文明は猶麻疹の流行の如し。目下東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延する者の如し。此時に當り此流行病の害を惡て此れを防がんとするも、果して其手段ある可きや。我輩斷じて其術なきを證す。有害一遍の流行病にても尚且其勢には激す可らず。況や利害相伴ふて常に利益多き文明に於てをや。當に之を防がざるのみならず、力めて其蔓延を助け、國民をして早く其氣風に浴せしむるは智者の事なる可し。西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開國を發端として、國民漸く其採る可きを知り、漸次に活發の氣風を催ふしたれども、進歩の道に横はるに古風老大の政府なるものありて、之を如何ともす可らず。政府を保存せん歟、文明は決して入る可らず。如何となれば近時の文明は日本の舊套と兩立す可らずして、舊套を脱すれば同時に政府も亦廢滅す可ければなり。

 

然ば則ち文明を防て其侵入を止めん歟、日本國は獨立す可らず。如何となれば世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の獨睡を許さゞればなり。是に於てか我日本の士人は國を重しとし政府を輕しとするの大義に基き、又幸に帝室の神聖尊嚴に依頼して、斷じて舊政府を倒して新政府を立て、國中朝野の別なく一切萬事西洋近時の文明を採り、獨り日本の舊套を脱したるのみならず、亞細亞全洲の中に在て新に一機軸を出し、主義とする所は唯脱亞の二字にあるのみなり。

 

我日本の國土は亞細亞の東邊に在りと雖ども、其國民の精神は既に亞細亞の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近隣に國あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云ふ。此二國の人民も古來亞細亞流の政教風俗に養はるゝこと、我日本國に異ならずと雖ども、其人種の由來を殊にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺傳教育の旨に同じからざる所のものある歟、日支韓三國三國相對し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、此二國の者共は一身に就き又一國に關してして改進の道を知らず。交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、其古風舊慣に變々するの情は百千年の古に異ならず、此文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云ひ、學校の教旨は仁義禮智と稱し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、其實際に於ては眞理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し。

 

我輩を以て此二國を視れば今の文明東漸の風潮に際し、迚も其獨立を維持するの道ある可らず。幸にして其の國中に志士の出現して、先づ國事開進の手始めとして、大に其政府を改革すること我維新の如き大擧を企て、先づ政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、若しも然らざるに於ては、今より數年を出でずして亡國と爲り、其國土は世界文明諸國の分割に歸す可きこと一點の疑あることなし。

 

如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭ひながら、支韓兩國は其傳染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室内に閉居し、空氣の流通を絶て窒塞するものなればなり。輔車唇歯とは隣國相助くるの喩なれども、今の支那朝鮮は我日本のために一毫の援助と爲らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三國の地利相接するが爲に、時に或は之を同一視し、支韓を評するの價を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず。例へば支那朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃む可きものあらざれば、西洋の人は日本も亦無法律の國かと疑ひ、支那朝鮮の士人が惑溺深くして科學の何ものたるを知らざれば、西洋の學者は日本も亦陰陽五行の國かと思ひ、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がために掩はれ、朝鮮國に人を刑するの惨酷なるあれば、日本人も亦共に無情なるかと推量せらるゝが如き、是等の事例を計れば、枚擧に遑あらず。之を喩へば比隣軒を竝べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然も殘忍無情なるときは、稀に其町村内の一家人が正當の人事に注意するも、他の醜に掩はれて湮没するものに異ならず。

 

其影響の事實に現はれて、間接に我外交上の故障を成すことは實に少々ならず、我日本國の一大不幸と云ふ可し。左れば、今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。

 

この論文で、それまで朝鮮人のことを「満腔の同情を惜しまない」と言っていた福沢は支那・朝鮮に決別を宣言するのである。その後福沢は英国が巨文島を占領すると、「朝鮮人民のためその滅亡を賀す」という激烈な批判文を掲載する。 

 

これらの言葉をとりあげて、「一万円札から福沢諭吉の肖像画を削除せよ」と言う声が上がったり、「福沢はそれ以来侵略者に豹変した」と言う人がある。それは福沢の真意を知らぬ浅薄な見方だ。彼は「独立の気力なき者は、邦を思うこと深切ならず」と言い、愛国心も独立心もない国は滅んでしまえ、と痛駕しているのである。

 

福沢の支援で亡命中の金玉均は閔妃の刺客を避けながら全国を転々とした。最後は騙されて上海に呼び出され暗殺されることになる。金玉均の死を知った福沢は供養のため真浄寺の住職に連絡をとっている。しかし金玉均の遺族を嘗ての同志たちが面倒を見ないのを知って福沢は、

 

「実に実に呆れ果てたり。事小なりとも雖も、斯(かか)る腰抜け共の棲息しては、亡国も固(もと)より其の処なり」

 

と手紙を書き送っている。