第三部 列強圧迫下・苦悩のドラマ 五、大韓帝国の誕生と挫折

徐載弼の教育改革と失われた独立のチャンス

徐載弼は17歳で来日して福沢諭吉の薫陶を受ける。金玉均のクーデター(甲申事変)に参加して、日本に亡命、その後アメリカにわたり西洋医学の博士号を取得、アメリカ人女性と結婚して市民権も得る。

1895年金弘集首相は徐載弼を呼び寄せ、外務大臣就任を要請するが、もとより高位高官の椅子に眼中にない彼は、国民に独立心を喚起させようと啓蒙運動にのめり込むのである。その年の4月に福沢諭吉が先鞭をつけたハングル文字による新聞「独立新聞」を発行し、7月2日「独立協会」を設立するのである。この「独立協会」には後の李承晩大統領(当時22歳)も参加している。

 

徐はまずソウルの義州路に建っていた「迎恩門」(恩人である中国人を迎える門)と「慕華館」(中華を慕う館)を中国に対する土下座姿勢の現れで屈辱であると、それぞれ「独立門」と「独立館」に代えてしまう。独立協会にはたちまち1万人を超える会員に膨れ上がるのである。

 

ソウルから北に延びる統一路を行くと左側にフランスパリのエトワール凱旋門を模して造らてた、高さ14.28m、幅11.48mで約1,850個の御影石で出来ている独立門を見ることができる。起工式は1896年(明治29年)11月21日。起工式には蛍の光のメロディで愛国歌が歌われた。

 

聖子神孫5百年は我が皇室なり

山高水麗なる東半島は我が本国なり

無窮花(むくげ)三千里、華麗なる山河

朝鮮の民は朝鮮に永久に栄えむ

二千万は一心なりて愛国に集ふ

身分上下なく、己が勤めを果さむ

 

独立の気運が教育立国を目指す学制改革へとつながり「学部(文部省)」が開設される。 そして学部は自主独立と歴史性を主体とした、教科書を作るのである。『国民小学読本』の第一課は「大朝鮮国」で、朝鮮国は独立国であり、国の富強は学業如何にかかっていることを強調していいる。歴史上の偉人として、李舜臣将軍や高句麗の武将・乙支文徳を特筆している。

 

さらにそれまでの宗主国清国を…国勢は日々傾いているの、今も自分を中華と呼んで自大視し、他国を外夷と言って軽蔑している。このことが判っていないから、世界から笑われ、陵辱されていることを甘受しなければならないのである。と批判している画期的な教科書であった。この頃から独立運動が本格化して全国にひろがることになる。

 

翌1897年(明治30年)2月20日、高宗は1年にわたるロシア公使館への逃避を終えて慶雲宮に入るり、国号を「大韓帝国」、自らの称号も国王から「皇帝」に、王后は「皇后」に、王世子は「皇太子」に改めた。元号を改めて10月12日には皇帝即位式を挙行するのである。

 

新皇帝は祀殿に出御し、厳かに神々に祈りを捧げて国号の変更を告げた。そして韓国は清国との伝統的な宗属関係から離脱して、独立国であることを宣明したのである。11月22日には亡き閔妃の諡を「明成皇后」として、国葬を持って弔い、御陵に収めたのである。ところが、新生大韓帝国は結局、名称と形式が変わったに過ぎなかった。実際には旧態依然、ロシアの干渉と列強の愚弄をうけながら、あえぐ崩壊寸前の王朝であり、新鮮な迫力も、溌剌たる意気も全然なかった。(李瑄根『民族の閃光』)

 

という状態であった。英・米・日はそれぞれ勢力の伸張をはかり、ロシアは政府を背後から操縦しているのである。徐載弼は新聞でそれらを糾弾するが、政府は「皇国協会」というテロ組織を独立協会を排除し始める。そのため徐は妻子を連れて米国に帰ってしまう。

 

1898年(明治32年)8月17日高宗皇帝は大韓帝国国制(憲法)を発布する。皇帝にすべての権力が集中する絶対君主制と言える制度で、日本はこの制度に基づいて合法的に併合をすることになる。

 

独立協会は徐載弼が去った後、尹致昊が会長となり活発な活動をするが、皇国協会のみならず、政府軍を出動させて弾圧し始める。最終的には解散命令を出して、幹部を全員逮捕するのである。この時、李承晩は拷問を受けて爪を抜かれるのである。後年彼は日本軍に拷問を受けたとしたが、真実はこの時の拷問なのである。

 

さて最後に獨協大学中村粲教授指摘を紹介する。

 

「韓国が真の独立を獲得するチャンスは日清戦争後にあった」

 

しかし現実は、1896年には金弘集首相を虐殺し、徐を追放して国内の抗争に明け暮れたのである。著者はこう警告する。

 

現在、日韓の学者の中には、日本だけに責任を追わせる人が多いは残念です。分裂した韓国に牙を剥いた諸列強の動きも無視できないし、なにより内輪喧嘩にうつつを抜かした韓国自身の責任を取り上げないのは、韓国のためにならないことを知って欲しいのです。

 

次に紹介するのは大韓帝国誕生十年目(1907年)に当たる10月1日、「大韓毎日申報」に掲載された文章です。この中で筆者は、韓国が次第に独立を失ったのは、独立の価値を認識せず、怠惰な快楽の中で浪費したからであって我自身の罪である、と指摘しています。そして独立は我々自身の努力で達成しなければ、世界に存在する場所もなくなると警告しているのです。この警告は現代の日本人にも当てはまる所があるのではありませんか。

 

当てはまるどころか、予言は的中している。