第五部 大東亜戦争 朝鮮への鎮魂 総括

第五部にはあと、十三、親日路線を歩んだ悲運の生涯 ―朝鮮・韓国人と共に忘れてはならないアジアの「戦友」たちへの鎮魂、十四、韓国に建てられた「護国神社」 ―日本軍人として戦死した大邱連隊戦死者を祀る、という2話があるが、さわりを紹介する。

十三、親日路線を歩んだ悲運の生涯 ―朝鮮・韓国人と共に忘れてはならないアジアの「戦友」たちへの鎮魂

では、協力に感謝し反戦謝罪すべき相手は誰か、で著者は重要な提言をしている。我が国が国家として謝罪を問題にするなら、日本の敗戦によって悲惨な境遇に落ち込んだアジアの親日派に対してどうすべきか。この点想いを馳せるべきではありませんか。

 

第五部では大東亜戦争期にその理念に共鳴して共に戦った多くの朝鮮人たちを物語を紹介してきた。もちろん朝鮮人だけではなく、日本と共にアジアの解放を戦ったアジア諸民族もいる。中国の汪兆銘、陳公博、インドのチャンドラー・ボース、フィリピンのベニグノ・ラモス等である。このような人々の物語は、世界から見た大東亜戦争やドキュメント 世界に生きる日本の心―二十一世紀へのメッセージにも数多く紹介されている。

 

ここに登場するトマス・ベイティ博士のことは読者は殆ど知らないであろうが、彼は大正5年に来日し途中中断がわずかあったが、正味30年間外務省の顧問を務めた。彼はワシントン条約、満州事変、国際連盟の脱退、支那事変、大東亜戦争の日本の苦闘期を終始、国際法に照らして擁護している。

 

彼は極東国際軍事裁判が米英が軍事力に物を言わせて、都合の良いように歪めているとして、母国イギリスを痛罵批判している。一時ケンブリッジ大学の国際法教授として招聘があったが日本へとどまるためにそれを断る。昭和29年に千葉県で亡くなるが(85歳)、悲しいことにイギリスでは今も、反逆者の烙印を押されている。

 

ベイティ博士はキリスト教を捨てて、シントーイスト(神道主義者)になったことだ。同じイギリス人で神道研究家のリチャード・ポンソンビー博士がなくなった時の弔辞で、「神道こそが真の宗教であり、溌剌たる総合帰一的な宗教」と言い、「教義が辞令や大僧正によって築かれる脆弱な基礎の上に立つ無力無意義なキリスト教より優れている点」に神道の真姿を見つけている。ベイティは勲二等瑞宝章栄綬され青山墓地に眠る。

 

十四、韓国に建てられた「護国神社」 ―日本軍人として戦死した大邱連隊戦死者を祀る

では、金道榮氏の慰霊を紹介している。氏は昭和12年7月7日盧溝橋事件を受けて10日に動員を受けた、第20師団を中核とした板垣兵団の進攻にともなう留守部隊に17歳で応募した志願第1期生である。その後、第20師団歩兵80聯隊に配属される。終戦後は韓国陸軍士官学校第1期生として韓国陸軍の創建にかわり、朝鮮戦争では指揮官として戦った。

 

退官後は戦友の慰霊につとめ、日韓両戦友の忠魂碑建立を計画して奔走する。原隊の旧駐屯地はアメリカ軍第8軍の施設となっており、韓国の世論も「韓国志願兵の死は決して愛国者ではなく、植民地の協力者だった」という状態であった。土地はなかなか見つからず、探し続ける毎日であったという。

 

しかし思いが天に通じたのか、旧第80聯隊近くの、大邱郊外の西区聖堂洞の聖華寺の住職が「霊に国境はなく、貴賎も敵味方もない」と建立を快諾される。昭和60年(1985年)3月2日(旧暦)に韓国全土の志願兵、招集兵、そしてそのご遺族が参集され盛大な開眼式が挙行される。慰霊碑の正面に金道榮氏が書いた詩がハングルで刻まれているという。

 

御身らは、国を喪ひし悲しみを胸に、異国の地に於いて散華し給ふ。

今、我が祖国の故郷の地に帰り給ひし英霊たちよ。慟哭と怨念を超えて、

この地で安らかに眠り給へ。

第五部総括

読者は、特に第五部に登場する朝鮮の独立愛国的親日派の存在を知らないであろう。大東亜戦争の敗戦によって、転がり込むようにつかんだ朝鮮の独立は、ソ連の傀儡で反日の金日成の朝鮮民主主義人民共和国と、反共親米反日の独立運動家李承晩の大韓民国の分裂国家としてだった。以後、半島は東西冷戦の最前戦として反目し合いながら、時には反日で協力しながら、今日を迎えている。

 

支那事変勃発からの朝鮮民衆の日本統治に対する見識は明らかに変わったと言える。再度掲載するが、志願兵制度設立からの兵役志願者数だが、昭和13年(1938年)最初の応募時ですら、406人の採用に対して2,946人、昭和17年(1942年)の大東亜戦争勃発後最初の応募では採用4,077人に対して254,273人(約62%の倍率)、翌年は採用6000人に対してなんと303394人が志願している。

 

朝鮮民族は、元宗主国中国に対して日本が堂々の戦いを挑んだ支那事変を、日朝両民族にとって長年の宿敵中国を、懲らしめる戦いだということで熱狂したのではないか。そしてアジア民族の解放をその理念とした大東亜戦争にさらなる熱狂と支持をしたことは想像に難くない。

 

二、聖戦完遂に熱狂した朝鮮の人々―日韓にはこういう時代があった

日本軍に志願した朝鮮の青年たち、ではその熱狂ぶりを伝えているが、京城駅で支那事変に出征する兵士を慰問する人の数が1日平均1万4千3百人というのは尋常ではない。志願者のみならず一般の民衆もが支那事変を熱狂的に支持した証左ではないのか。

 

大東亜戦争開戦2日後の12月10日、国民総力朝鮮連盟主催の大講演会が行われ、申興雨、張徳秀などの運動家が大東亜戦争支持の強烈な演説した。特に朝鮮文芸界の第一人者李光洙の「私は天皇陛下の子であるという考えを常に忘れずこの聖業に邁進するものであるからにして、子々孫々の栄華を得るであろう」という演説などは現在の韓国人からは想像もできないだろう。

 

また詩人朱耀翰の、ルーズベルトよ答えよという題目で「正義人道の仮面を被り、摂取と陰謀をほしいままにしている世界の放火魔、世界一の偽善君子、アメリカ合衆国大統領ルーズベルト君。君は口を開けば人道を唱えるが、パリ講和会議の序文に、日本人が人種差別撤廃文案を挿入しようとしたとき、 これに反対し、削除したのはどこの国であり、黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にもつかせず、アフリカ大陸で奴隷狩りをあたかも野獣狩りをするが如くしたのはどこの国のものであったか。しかし、君等の悪運は最早尽きた。一億同胞なかんずく朝鮮半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜の聖戦の勇士とならんことを誓っている。」と演説したが、これは日韓のみならず、当時のアジア諸民族の気持ちを代弁したものだとも言える。

 

七、特攻戦死した朝鮮人の悲劇 ―15人の戦歿者は何を思って散ったのか

紹介する15名の特攻戦士名前を知る日本人は殆どいない。特に印象に残るのが御前崎沖でB29に体当した、河田清治少尉(韓国名 盧龍愚 昭和20年5月29日 永眠)だ。

 

「地上で目撃した住民には手を合わせて合掌する人もいたという。B29編隊長機を撃墜した河田少尉の殊勲は新聞の一面を飾ったが、彼が盧龍愚という朝鮮人であることを誰一人知らなかった」。彼の体当たりで何名日本人が救われたのであろうか。

 

これらのことは私達に教訓を与えてくれる。著者は常々、「日韓関係はまごころを好意で示すことが重要だ」、「外交は慰霊からだ、両国の理解もそこからはじまる」と言っていた。

 

ひとつ気ががりなことがある。それは靖国神社には大東亜戦争で散華された、213万3915柱のうち、21000余柱の朝鮮出身の御祭神が祀られている(台湾出身者は戦歿者30304人のうち、27864柱が祀られている。)

 

この大東戦争の意義に共鳴共感して、日本人として戦い散華された方たちの慰霊をしなくて良いのかということだ。と同時に日本に協力して戦後国賊扱いを受けている親日派の顕彰をしなくて良いのかということだ。まず8月29日には併合に協力して国賊になってしまっている、李完用、宋秉畯、李容九らに想いを馳せる会をしたいと思う。