第四部 日韓併合それぞれの苦難 一、日韓併合のプリズム分析

併合に対する国際的評価と併合の必然性

朝鮮統治三十五年の光と影の最後で、一つの民族が他の民族を併合することがいかに困難なことか。いくら相手国に資金を注ぎ込み、生活向上に尽くしても感謝されない。一国の独立を奪う行為がいかにその国の国民にとって、名誉や自尊心を毀損するかを吐露している。ビジネスの世界でも企業合併における、人事の不公平さなどから、二企業間の人事的交流の円滑化は30年かかると聞いている。

著者はそこでこう提唱する。

 

特に「日韓併合」というような深刻的な歴史事件は、色々な角度から眺めなければ、その全体像は姿を現さないと思うのです。

 

合法的だった合併条約の締結の経緯

19世紀のアジアは列強の侵食で独立を維持できたのは結果的に日本とタイだけであった。イギリスはインドをオランダ、フランスはインドネシア、アメリカはフィリピン、ロシアは満州というように、植民地化が進むのである。植民地後進国アメリカはハワイにおいて、女王を追放し王党派を武力弾圧して併合したし、フィリピンのスペインからの独立を求めるアギナルドにそれを約束しながら、アメリカがスペインに勝利し途端、フィリピンを併合した。どさくさに紛れグアムも自国領に編入した。列強はいずれも荒っぽいやり方で他国を植民地にしていった。

 

一方日本の韓国併合は1910年8月18日に李完用内閣に併合条約が上梓されて、学部大臣李容植以外は反対せず、22日の御前会議を欠席した李容植大臣を除く、全閣僚が賛成して決定され、皇帝純宗がそれを裁可した。その後、その日のうちに詔勅が出された。

 

朕東洋平和を鞏固ならしむる為、韓日両国の親密なる関係を以て彼我相合(あいがつ)し一家をなすは、相互万世の幸福をはかる所以でなるを念(おも)ひ、ここに韓国の統治を挙げ、此れを朕が極めて信頼する大日本皇帝陛下の譲与することを決定し、仍(すなわ)ち必要なる条章を規定し将来我皇室の永久安寧と生民の福利を保障する為、内閣総理大臣李完用を全権委員に任命し、大日本帝国全権統監寺内正毅と会同して商議協定せしむ、諸臣亦朕が意の確断したる所を体して奉公せよ。

 

御名御璽

隆煕4年8月22日

 

併合をするにあたり日本政府は各国に綿密な根回しをしている。その年の4月、それまで反対していたロシアに承認を取り付け、イギリスには5月に併合を認めさせている。海外の論調を要約すると、

  • 日本は韓国保全のために日清・日露戦争を戦い、東亜安定のためにやむを得ない。
  • 合併後でも韓国における自国の利権を失わないようにせよ。
  • 日本の満州進出を警戒しろ。

と自国の権益に支障がなければ東亜安定のためにはやむを得ない、というものであった。

 

涙なくしては読めない皇帝最後の勅諭

1910年8月29日は韓国国民にとっては(日本がそれを共有する必要はないが)屈辱の日となった。著者はその日皇帝純宗が発した、皇帝として最後の勅諭を涙なしには読めないと言っている。

 

韓国皇帝の勅諭

皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。

 

故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

 

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

 

隆煕四年八月二十九日

御璽

 

著者はこの勅諭を皇帝純宗の至純素直な真心の披瀝であり、深い感銘を覚えるとこう語る。

 

ここに紹介した純宗皇帝の勅諭は、謙虚にしてその内容の悲愴なる事に胸が締めつけられます。前皇帝の高宗の場合は、詔書を出しても裏で策を弄し、日本としてもなかなか信頼できなかったのですが、純宗の勅諭は、至純率直に真心を披瀝してあり、深い感銘を覚えるのです。―中略―

 

これまでの韓国のどうにもならなくなった積弊を痛嘆し、皇帝として国事を収拾できなくなった無念の思いに触れながら、人民の困苦を思い、茫然たる心境になった事を吐露しています。そして、この際、統治権を信頼できる日本の天皇陛下に託し、国家の革新を行い、国民の幸福を共有するより外に無くなった。

国民よ、東洋の平和と民生の保全のために、騒乱を起こしてはならない。私は、決して国民を忘れたわけではない。国民を救い、活力を与えるための真心から出たものである。

 

この皇帝の勅諭に表面上大きな混乱は起きなかったが、一国の滅亡を甘受する民族があるはずもなく、殉死する人も多かった。愛国の志士たちは悲憤慷慨して、慟哭しながら朝鮮総督府に反対抗拒したのである。

 

なぜ併合は必要だったのか

併合時の韓国国内の統治状況を概観していみるとみえてくることがある。併合前の韓国の行政組織は壊滅状況であった。警察機構の腐敗は目を覆うばかりである。ソウル以外の地方では警察と司法、行政を一元的に扱い、四民(両班、中人、常民、奴婢)は明確に差別され、支配階級の匙加減で税金を取り立てて着服し、反抗したものを好きなように処断できたのある。アメリカ人アルバートは「朝鮮滅亡」の中で、こう記述している。

 

裁判は金の力で正義の天秤が上下する。文明国ならたちまち民衆の反乱を呼び起こすに相違ないような不正かつ野蛮な事件を見聞きしないで済む日は無いに等しい。民衆が良くもこれを我慢していものだ。

 

反逆者の処刑後は家の取り壊しがあり、全財産は没収され、息子や男系の親族は皆殺しにされ、女はすべて奴隷にされた。死刑囚は笞刑を受け、罪を告白してから殺される。中には最後まで無実を主張しながら死刑になるものもある。

 

朝鮮では証人は囚人同様に留置される。証人席は時々、もっと知っていると思われると拷問の場に変わる。だから裁判所の望む証言をするのは当たり前である。イギリス人殺しで呼ばれた証人は地面にアグラをかいた恰好で太い杭につながれた。―中略― 証人は失神したが事件については知らぬと言い続けた。

 

このような証言は枚挙にいとまだないと著者は言っている。スエーデン人の新聞記者グレブストは白人的な優越感から日本を非難していたが、明治36年、朝鮮を訪れ「朝鮮の悲劇」という本を書いて、朝鮮監獄の目撃談は目を覆いたくなるとして紹介している。 

 

監獄には14人が収監されていた。ある者は先端が地面に達する長い首枷をはめられており、またある者は片足または両足に足枷をかけられている。―中略― 

 

全員3年以上、うち2人はなんと12年も閉じ込められているという。ついで死刑執行を見た。囚人は足を縛られ、腕は両脇に縛られすこしも身動きできぬようになった。囚人の脚の内側に棒を挟んで、執行人たちは自分の体重のすべてを棒の片側にかけた。(実況写真が載せてある)囚人が続けざまに吐き出す叫び声は聞いていて壮絶なものだった。脚の骨が砕けつぶれる音が聞こえると同時に、その痛さを表現する声さえもはやないかのように、囚人の壮絶な悲鳴も止まった。―中略― 

 

気絶した囚人はややあって意識を取り戻した。力なく首を左右にゆすりながら呻き声を出し、その場に身を横たえている。執行人らは囚人の腕の骨と肋骨を次々と折ってから、最後に絹紐を使って首を締めて殺し、その死体をどこえやら引き摺っていった。 

―中略― 

 

理由がなんであれこんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃するだろうという点だ。

 

またフランス人ダレが1874年にまとめた「朝鮮事情」の中から、刑務所内の残虐ぶりとその拷問の内容を紹介している。

 

棍棒…柏の棍棒でふくらはぎを思い切り殴る。 

骨の脱臼と骨折…棒を使って骨を脱臼させたり骨折させたりする 

吊り拷問…手をうしろで縛り、腕を空中に吊って笞でうつ 

のこぎり拷問…骨に達するまで鋸で引く 

まさかり拷問…まさかりで肉片を切開する

 

イザベラ・バードや、これら併合前に朝鮮を訪れた外国人の紀行を見ると実に悲惨な韓国庶民の実態がわかる。著者はこの報告を読んで、考えさせられることがあるという。

 

韓国民族独立記念館の蝋人形である。日本の警察に拷問される模様は実にショッキングだが、日本の警察は朝鮮人を補助員として採用していたので、実際に拷問を行っているのは朝鮮人なのである、と悲劇の深刻さを指摘している。

 

今村鞆著「歴史民俗朝鮮漫談」では朝鮮人は両班取締には感謝したが、下級補助員の横暴によって、のちの日本に対する悪感情を生んだ、驚くべき事実を沢山知っている、と述べている。寺内総監はともすれば朝鮮に移留する日本人が、朝鮮人を蔑視する風潮を戒め、朝鮮人を同胞と思うよう、強い語調で訓示して日本人に自覚を求めている。

 

当時の日本政府がいかに慎重に併合を進めようとしていたかが窺い知れるのである。

 

最後に著者は無理を承知でと断りながら併合へ至る7要素を挙げている。

  1. 日本の西洋列強やロシア南下の切迫感
  2. 韓国宮廷、地方官吏の腐敗による経済・社会の停滞と国民の貧困
  3. 警察・司法機構の不正による国民の悲惨さから、外国人は特に日本への期待があった
  4. 韓国内の政治運動で合邦要求が韓国国内から起こり、韓国国民の福利に役立つとの世論があった
  5. 安重根の伊藤博文暗殺で日本の世論が激昂して併合要求が高まった
  6. 併合は韓国にとっては亡国を意味し、それを拒否して抗議した者も多く、義兵運動も起こった。この愛国的悲劇を無視してはいけない
  7. 日本は併合後財政、経済など善意をもって諸改革を断行したが、性急独断の面もあり韓国民の心を掴むに至らなかった

最後のこう述べるている。

 

自由社会では、認識や解釈に相違が出てくるのは当然のことなのです。それを認め合い、理解し合うのが友好に繋がるのです。