第四部 日韓併合それぞれの苦難 六、閔元植による「3・1運動」総括

雑誌『太陽』掲載の「朝鮮騒擾」善後策

閔元植は閔妃皇后に血統をひく韓国人だが、彼は3・1事件直後に「朝鮮騒擾善後策―鮮民の求めるは斯くの如し」という長文の論文を雑誌「太陽」に寄稿した。閔妃皇后が暗殺されたのは(明治28年)彼が8歳の時だった。東学党の乱では閔氏門閥打倒の煽りを受けて両親が殺害される。朝鮮国内や清国を逃げまわったあげく、12歳の時日本へ逃れる。副島種臣と知遇を得て、8年後、伊藤に抜擢され、韓国総督府衛生課長に栄転、その後書記官長などを歴任し、併合後は高揚の郡守に任じられて、この時に3・1事件に遭遇したのである。論文の要約が著書にあるので紹介する。

3・1事件―常識的に見れば狂気の沙汰このたびの3・1独立運動の近因は、米国ウイルソン大統領の民族自決主義を朝鮮に適用されるとという誤解から起こった。もしくは誤解を装った在外朝鮮人の扇動に由来した。初めから実現できないと知りつつ妄動を企てた感がある。常識的に見れば狂気の沙汰といえる。しかし日本人に不満をいだいているのは確かだ。

 

日本の果たしつつある役割をなぜ評価しない

日本政府は併合以来10年近く、朝鮮人の生命財産を保護して国民福利を向上させてきた。運輸交通、金融機関の整備、農工業及び各種産業の発展、旧韓国時代の悪政から朝鮮人を開放し、夢想だにしない恵沢をもたらした。

にもかかわらず朝鮮人の性情がが偏狭・我執に傾いているためか、口では感謝しながら、朝鮮人の自尊心を傷つけたなどと思うものも多い。さらに朝鮮人は米国を自由の楽園のように思っているが、そこは白人の天国であって、有色人種の人権はほとんど認められない。

パリ平和会議で、日本が人種差別撤廃を提案したが、オーストラリアのヒュース首相が強硬に反対し、それを真っ先に支持したのはウイルソン大統領ではなかったか。米国の庇護に頼って独立が達成できるなど不可能である。日本統治下の朝鮮人は米国較べて遥かに幸福であることを認識し、穏当な方法で民権を拡大してゆくことを講ずるべきである。

 

日鮮の国体と国民性情の比較

日本は開闢以来、天皇あっての国家であって、元首が変わったことがない。頼朝も尊氏も家康も天皇の名において政権を委ねられたものであり、それなくして民心治めることができなかった。

 

朝鮮は、国土あっての元首であって、元首が変わることを奇異に思っていない。朝鮮だったら秀吉も家康も国王になっていたであろう。だから朝鮮人は統治者が変わっても、大して不思議に思わない。日韓併合も、慌ただしいうちに実現してしまった。

当時の権力者たちは、国家の将来のことも民権に留保について考えることもせず、何ら努力もすることなく、簡単に賛成して今わ貴族に列せられている。

 

こういう連中が指導者だからといって日本政府は、朝鮮民族をなめたり、蛮族扱いしたのでは、民心を掌握できない。朝鮮には半万年の歴史があり、各時代に相当な文化を築いてきた。

 

漢も隋も唐も、そして元も清も露も武力を持って朝鮮を圧制しようとしたが、ことごとく失敗してしまった。日本は生活向上と産業育成をもって眩惑しようとしているが、民心を掌握できないであろう。そもそも朝鮮人は天性正直で智術に富み、外交に長じている。外圧を受けると屈従して自衛の策を講じ、時至れば一挙にこれを掃討してきた。―中略― 

 

そして現代朝鮮人の飢えた心に糧を与え、民心を掌握しているのは、米国から来た宣教師たちである。彼らは新教の宣布と共に、学校を建て、教育を施し、西欧文明を輸入して民心を覚醒させつつある。

 

日・英・仏植民地政策比較と日鮮の進路

学者の中にはフランスの同化政策は失敗し、英国の自治政策は成功しているという人があるが、之は十把一絡げの議論である。英国は同じアンゴロサクソン民族だけに自治権を与え、インド、エジプトに自治権をを与えたら収拾がつかなくなることをよく知っている。日鮮はもともと同文同種であり、その他を考慮しても難事だが不可能ではない。そのためには日鮮人が平等の権利をもって、同治から入るべきである。

 

新日本主義の樹立を

日本は開国以来52年にして世界5大強国に発展した。この勢いをもって進めば白人のいかなる国にも対抗できる国力を持つのは難事ではあるまい。東洋人は小我を去り、東洋の盟主・日本を中心に協力して白人に当たるべきである。―中略― 

 

私が日韓併合に賛成するのは、もともと同根の両民族が合体して、必至の外侮を防ぎ、永く民族の繁栄を保つためである。両国は利益を同じくしているのであるから、日本人は朝鮮人を軽蔑してはならない。朝鮮人もまた猜疑心をもってはならない。共通の国家に忠誠を励み、実を獲る覚悟がなくてはならない。私はこれを"新日本主義の樹立"と称している。日本政府は寛容の心を持って、この案を採用しなければ、併合の効果を完うすることはできない。

 

彼は思想穏健で国家に対して忠誠の志を持つもの対象に、官吏登用、参政権付与、言論・集会・結社の自由、教育の機会均等を与えることを提言している。アジアを取り巻く国際的状況を念頭に置き、3・1独立運動をふまえて日鮮両国民に今後の進路を示した、彼の歴史観に現代の日韓両国民は学ぶべきだと著者は指摘する。

 

閔元植は翌年の大正9年の第42回帝国議会に参政権嘆願書を提出する。その後も彼は議会が開催されるたび嘆願書を提出したが、大正10年、日本大学の梁槿煥という急進的独立派の青年に暗殺される。彼の合法的参政権運動は、暴力的急進派からは「併合を既定事実にする分裂運動」と反発を買っていたのである。

 

最後に著者は、ともかく性急な反日独立闘争以外はすべて半民族的行為だと決めつけ、その関係者を暗殺してゆく朝鮮の独立運動はその後も、内部分裂と対立を繰り返し、確固とした独立組織を構築できないまま、日本の敗戦を迎えることになったのです。と冷たく評価している。

 

1960年代、70年代の日本の過激派も同じような武力闘争と内部分裂を繰り返したのと比較して、当時の朝鮮の独立運動も背後にコミュテルンのにおいがするのは私だけではないだろう