第七部 かかる韓国人ありき[戦後編] 三、日本伝統精神を非求した朴鉄柱

戦後、ソウルに「日本文化研究所」を設立した悲劇の知日家

朴鉄柱は1922年(大正11年)韓国釜山東莱生まれ、大東亜戦争下に皇典研究所を卒業、釜山龍頭山神社や下関住吉神社に奉職した。終戦後韓国に帰国したが、李承晩反日政権下でで苦汁を嘗め、「民族半額者裁判条例」で日本の学校卒業者はである彼は追放の憂き目にあう。

朝鮮動乱後ソウルの出て昭和29年5月に「日本文化研究所」を設立する。研究所の「内容書」は日韓両国語で書かれたいて、「趣意書」には、

 

日韓両民族は、各自悠久なる伝統と文化を護持しており、上古より密接なる文化的相互交流は、両民族の芸術、風俗、道義観にまで共通のものを形成してきたのであります。特に一衣帯水の地理的条件は、お互いの全歴史を通じて政治的、経済的、協助を不可避にし、文化的、精神的にも密接にして不可分なる関係を確立してきたのであります。

 

趣意書は大局にたった日韓のあり方を踏まえたものである。文禄・慶長の役のような「互助扶助の原理に違背したとき」があったが、それは「久遠なる歴史に於いてひとつの瞬間的な疾患であり、両国の健全なる将来と恒久平和のための契機」にしなければならないとしている。

研究主眼は、

  • 日本上代史の研究
  • 帰化文化の研究
  • 日本の信仰、道徳精神文化の研究

であった。もし日本に「韓国文化研究所」が設立され、研究交流を重ねていたら成熟した日韓関係構築に寄与したことであろうか。「日本文化研究所」の会員はソウルだけで1200名に達したという。

 

朴所長は「日本と韓国」という著者を刊行している。このなかで朴所長は日本に対して、日韓の恒久的安定に言及して、

 

日韓の安定のためには、日本は古事記にさかのぼって、日本本来の姿をとり戻すべきであり、韓国は韓国形成の根源を知らなければならない。豊臣秀吉の"朝鮮征伐"とか、日帝36年の韓国統治とかは、長い日韓の歴史からすれば、派生的なことに過ぎない。それは一時的な兄弟喧嘩のようなものである。日韓は相互に国家形成の原点に回帰すべきである。

 

著者名越二荒之助先生は昭和42年、学生7人と訪韓して、韓日文化研究協会会長である朴鉄柱会長を訪ねている。その邂逅の中で朴鉄柱会長は3時間にわたり語ったという。

 

韓国から日本をながめていると、日本が"心"という字に見える。北海道、本州、四国、九州と“心”という字に並んでいるのではないか。日本はすばらしい。」万世一系の御皇室(御をつけられる)を戴き、歴史に断絶がない。日本固有の神道が、現在に至るまで相続されており、国家全体が調和された形で形成されている。“八紘為宇”という考え方は、日本の大らかさの現れであって、これは積極的に世界に知らせる必要がある。

 

それに較べて韓国の歴史は、悲惨であって断層が深く、涙なくして見ることはできない。暗い場所から見れば、明るい所は余計にはっきりと判る。韓国は日本文化の豊かさの中から学ぶことによって、内面的支柱を確立するよう努力したい。

 

韓国の檀君神話といっても、あれは高麗時代、モンゴルの支配下に置かれた時、一然上人が民族精神を振起するためにまとめられたもので、高麗神話の性格が強い。ほかに新羅や百済や駕洛にも神話がある。韓国は日本のように統一した神話にはなっていない。

 

日本の神話は、ギリシャやユダヤの神話に較べて明るく、ロマンの香りが高く親しみやすい。それに日本神話は檀君神話より400年も前にまとめられた。私が日本神話に内面的親しみを感ずるのは、日韓が同祖だと信じからである。それは民俗学的な立場からも証明できる。

 

韓国は古来から祖先信仰と自然崇敬の念が強く、三神霊廟があり、それらをまつるために、『鳥居』や『しめなわ』『ヒロモギ』を使っていた。それに日韓両国には、『白衣』の思想があった。(これらは中国にはない)日本に神職は、神に近づく時には白衣を着る。韓国民も霊廟に参拝する時には白衣を着るのが礼儀となっている。まず自らの身を浄めるわけである。

 

第二次大戦後の日韓関係は、李承晩政権の影響もあって、共産主義以上に日本を憎む傾向があった。そのため日韓の氷山の一角を誇大に強調して、隠された部分を見落としていた。お互いの精神的歴史的豊かさを掘り起す努力をしようではないか。そのために日本は自信をとり戻して、おおらかに民族形成の原点に立ち返ってほしい。

 

現在の日本人の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後までとり組んだ。それまでの日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。

 

最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。"事態ここに至る。坐して死を待つよりは、戦って死すべし"というのが、開戦時の心境であった。

 

それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争この二つの捨身の戦争が歴史を転換し、アジア諸民族の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調し過ぎることはない。

 

大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスを始めとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。

 

戦争に勝ったか敗けたかは、戦争目的を達成したかどうによって決まる、というのはクラウゼヴィツの戦争論である。日本は戦争敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、“聖なる戦争”であった。

 

ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万の戦死者はたしかに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖國神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇の対象となるのである。

 

著者の名越先生はこの朴鉄柱会長の日本賛美を聞きながら、喜ばしい反面、一方で何か空しい物を 感じたという。韓国人であれば韓国のことをもっと誇るべきではないか。そこで著者はこう反撃したという。

 

私はこれまで外国人による日本賛美をいろいろ知っている。しかし今聞いた朴会長ほど徹底した日本賛美を聞いたことがない。しかし朴鉄柱先生は韓国人ではないか。韓国人なら韓国人らしく、韓国賛美をやられてはどうか。韓国に来てまで"日本賛美"の言葉を聞こうとは思わなかった。

 

韓国は素晴らしい。半島国家という地政学的な悪条件下にあって、韓国は独自の文化伝統を失わなかった。北からは隋や唐や元に攻められ、戦後は北朝鮮からも攻撃された。

 

そして南からは日本の侵入を受たことも何回かある。サンドイッチなのようになりながらも韓国はその都度甦り、不死鳥のように立ち上がった。そして現在は檀君神話を復活させ、国防意識の燃え、民族としての誇りに生きている。

 

それに対して我が日本は、たった一度の敗戦で伝統を忘れ、歴史を否定的に見、民族の自覚も誇りもなく、経済成長にうつつを抜かしている。我々こそ多くの教訓を韓国から学ばなければならない。

 

と「逆襲」したという。期せずして韓国人による"日本賛美"と日本人による"韓国賛美"というエールの交換になったという。朴鉄柱氏は平成2年1月25日に逝去した。享年68歳。死後『朴鉄柱大人偲ぶ』という本が刊行されて、その中で中村武彦氏「孤独悲しき朴鉄柱―日本を愛しぬいた一韓国人」という長文の回想記がある。その一節に、

 

平成元年一月、先帝陛下の崩御の直後に重い足を引きずって彼は東京にやってきた。先ず二重橋の砂利の上にひざまづいて、長い間頭を上げなかった。ご大葬の日には、雨の中を早朝から皇居の堵列に加わり、御見送り申し上げた。

 

名も無き一韓国人が、瀕死の身を以て氷雨に濡れながら、泣いて先帝陛下にお別れしたその悲しい真心を、御神霊は必ずや御嘉納になったことであろう。