第七部 かかる韓国人ありき[戦後編] 二、無名日本人の遺骨を合祀した金玄玉ソウル市長

「仏教伝来謝恩碑」建立二〇年式典での挨拶から

百済の聖明王が仏教を日本に伝えたのは、西暦538年である。そのことへの感謝の意を込めて国粋会会長の田中香穂氏が中心となって昭和47年(1972年)、百済の古都・扶余に「仏教伝来謝恩碑」が建立された。当時反日感情はが強く、新聞の論調はことごとく建立反対であった。韓国側の仏教関係者の中には、万一破壊されるようなことがあっては両国民の傷はいっそう深くなるであろうから、5年待って欲しいという意見もあったという。

そういう状況下ではあったのだが、碑は建立され除幕式には李方子殿下をはじめ、韓国国会議員、韓国学術院長など2000人が集まる歴史的イベントとなった。この式典後20年を経て、「仏教伝来謝恩碑建立20年記念日韓合同祝賀会」が開催されて、その祝辞の中で田中会長は日本人が忘れてはならないことを紹介している。

 

1969年(昭和44年)、ソウルにあった火葬場あとから約5千人分の日本人の遺骨が発見された。日本への返還は不可ということなので、当時の日本大使金山正英は当時の金玄玉ソウル市長にその保管について格別の配慮を要請したところ、翌年ソウル郊外碧蹄館の市民墓地の一角に、大きな碑堂を建設してその中に安置してくれたのである。その納骨堂は「無名日本人遺骨合祀台」と大書された素晴らしいものだった。

 

しかし日本から僧侶が招かれ、開堂式を挙行したのだが、前日に一部が破壊され、式典が1日延期になるという不安いっぱいのスタートになった。不安は的中してこの年の8月15日の光復節にこの碑は破壊された。結果遺骨は日本へ返還となり、鶴見の総持寺に安置された。金玄玉市長はそういう状況下でも勇気を持って納骨堂を建立したことである。こういう誠意ある韓国人を決して日本人は忘れてはいけないのである。