第八部 日韓両国民への八つの提言 一、韓国大統領の本音に学ぼう

過去についての韓国自身の責任を問う歴代大統領

昭和59年(1984年)9月、全斗煥大統領が来日したとき、宮中晩餐会で昭和天皇はこう御言葉を述べられた。

  

今世紀の一時期に於いて、両国の間に不幸な過去が存在したことは遺憾であり、再び繰り返してはならないと思います。

 

平成2年5月、盧泰愚大統領が来日したとき、今上陛下のお言葉は、

 

我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません。

 

今上陛下が我が国によってもたらされたこの不幸な時期と日本統治時代に言及されたのは、遺憾ながら朝鮮総督府統治の実態が明治天皇の聖旨を害う点があったことを述べられたと思う。

 

盧大統領はこう応えておられる。

 

両国間には歓迎すべきことも数多くありました。しかしわが国民は近世に入り、苦痛を受ける一時期を経験しなければなりませんでした。両国間の長い善隣友好の歴史から見るとき、暗い時代は相対的に短い期間でした。

 

われわれ両国は真正な歴史認識に基づいて過去の過ちを洗い流し、友好協力の新たな時代を開かねばなりません。 

世界のなかの韓日関係を志向する巨視的視点に立ち、誠意と信頼に基づいて共に努力すれば、韓日関係の未来は限りなく明るくなるにちがいありません。

 

盧泰愚大統領は巨視的な視点に立ち、過去の過ちは両国にあるという、真正な歴史認識基づいて友好協力時代を築くことを訴えたのである。

 

戦後サンフランシスコ講和条約を締結する際、外務省条約局が作成した、「平和問題に関する基本的立場」という文書がある。この文書ではカイロ宣言とヤルタ協定では、日本から剥奪される領土は、日本が盗取し、暴力と貪欲、背信的攻撃によって略取したと言っているが、台湾および樺太の取得、朝鮮の併合、南洋諸島の委任統治受託に対して、犯罪的非難を受けることには反対をする。日本はどの場合も国際法を準拠して行動し、日本の措置は列国の承認に於いて実効された。これら列国も同様な領土移転は数世紀にわたっておこなられたとことであると反論している。

 

そしてこれらの地域にたいする日本の統治は植民地における搾取政治ではなく、これら地域が未だ未開発であったのであるが、日本の領有となって経済的にも社会的にも、文化的にも向上発展させるため、年々国庫から多額の補助を与えた。一言で言うなら日本の統治は持ち出しであった、とも述べている。戦後これらの領土を失ってから国内投資に専した結果、今日我国は世界第2位の経済大国になったのは事実である。

 

韓国併合については第四部 日韓併合それぞれの苦難 一、日韓併合のプリズム分析 ―併合に対する国際的評価と併合の必然性の稿や二、日韓併合を肯定した韓国人たち ―責任を当時の指導者に押し付けなかった人々を参照して欲しい。

 

併合条約は国際的要求と韓国国内的要求があるなか、併合条約以前の条約や協定は専制君主である高宗皇帝が承認し、併合条約は純宗皇帝の勅許を得、閣議で満場一致で調印したのである以上、無効ということは出来ない。しかし無効にしたいという韓国国民の心情は理解できる。

 

佐藤栄作首相も国会の答弁(昭和40年11月19日)で、韓国併合に関する日韓条約は、いろいろ誤解を受けているようだが、条約である限りに於いて、これは両者の完全な意志、平等の立場において締結されたことは、申し上げるまでもない、と答弁している。

 

しかし昭和61年の中曽根内閣の時、藤尾文相は、日韓併合条約は合法的であり、韓国にも責任がある旨を発言した。佐藤内閣の以来の政府見解を踏襲したのだが、中曽根首相は韓国の抗議を受けて陳謝し、9月9日文相を罷免した。佐藤首相以来の政府見解を変更した事件であった。

 

歴史はドラマであって,複雑な時代背景や相手の対応によって様々に変化する。韓国が抗議し日本が謝罪するといった、歴史を政治の場に持ち込むのはお互いに止めたいものである。

 

朴正煕大統領は、韓国の歴史には誇れるものが何も無い、という内容の「我々は一体何をすべきか」という論文が朴正煕選集②国家・民族・私の中に収録されている。

  • いつも外来文化に同化したり、原始産業的なわくからただの一寸も出られなかった。
  • この国の歴史は平安な日がなく外国勢力の強圧と征服の反復のもとに、かろうじて生活とは言えない生存を延長してきた。ところで嘆かわしいことは、このながい受難の歴程のなかでただ一度も形成を逆転させ、外へ進みでて国家の実力を示したことがないということである。
  • 半島の地域的運命とか、我々の力不足のために起きたのではなく、ほとんど我々が招き入れたようなものとなっている。
  • 自らを弱者とみなし、他人を強大視する卑怯で事大的な思想、この宿弊、この悪い遺産を拒否し抜本せずには自主や発展は期待することは出来ないであろう。
  • 世宗大王、李忠武公のような万古の聖君、聖雄もいたけれども、全体的に顧みるとただ唖然とするだけで真っ暗になるばかりである。

全斗煥大統領は1981年(昭和56年)8月15日の光復節で次のように演説した。

 

我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的団結、国力の弱さなど、我々自らの責任をきびしく自責する姿勢が大切である。

 

また翌年の教科書騒動によって反日感情が渦巻く光復節ではこのように演説した。

 

異民族支配の苦痛と侮辱を再び経験しないための確かな保障は、我々を支配した国よりもずっと暮らしやすい国、より富強な国を作り上げるしかない。

 

と克日(日本を克服すること)を強調している。

 

またある大学の学長は著者にこう述べたという。

 

日清戦争の時、清国軍がソウルを占領しても韓国人は戦わなかった。だから日本軍が戦って清国を追い払った。ロシアが入ってきた時も我々は戦わなかった。日本軍が血を流して戦い、朝鮮からロシアを追い出した。だから日本はこれ以上トラブルは嫌だと、朝鮮を併合してしまった。これに対して列強は、日本がそうするのも無理はないとして、一言も文句を言わなかった。このことを忘れてはいけない。韓国は自ら滅んだ。日本の悪口を言い、責任を日本に押し付ける前に、我々は戦わなかったから滅びたことを知らねばならない。

盧泰愚大統領は平成2年に来日したとき、韓国大統領として初めて国会でこのように演説した。

 

今日我々は国家を守ることが出来なかった自らを反省するのみであり、過去を振り返って誰かをとがめたり、恨んだりしようとは思わない。

 

また翌日の記者会見では、

 

両国の歴史の真実についての認識に差異があったのは事実で、このたびの訪問で認識をともにすることができた。

 

韓国の反日教育に対する質問には、

 

一部の人々が心配しているのは事実だ。だがやはり大切な事は、私が重ねて強調したいのが、歴史の真実をともに認識すべきだ。

 

大統領の歴史の真実をともに認識するというのは韓国側の言い分を一方的に日本が理解しろというのでないと思う。日本の当時の立場も理解し、双方の立場を尊重し、教訓化することが大切なのである。