第八部 日韓両国民への八つの提言 五、国際的視野から「戦争責任」を考えよう

ベトナム戦争と朝鮮動乱

朝鮮動乱は大戦後独立を果たした韓国にとってはまさしく存亡の危機であったとともに、統一のチャンスでもあった。

1950年(昭和25年)6月25日午前4時、突然の戦車250台を連ねる北朝鮮軍の進攻に、韓国軍は飛行機も戦車もなく、李承晩大統領が進攻を知ったのが午前10時という始末で、為す術もない状態だった。

 

李諠根大佐や元日本人将校は「ソウルを死守せよ」と呼びかけるが、27日には李承晩大統領はこっそり首都を捨てて南下する。28日はソウルは占領されることになる。大統領は日本の山口県に亡命政府を移す計画もする。

 

9月15日、マッカーサーによる仁川上陸作戦が決行されて、28日はソウルを奪還、韓国軍は北進する。10月20日には平壌を占領して、28日李承晩大統領は平壌に入城する。

 

平壌市民は共産主義からの解放を歓迎し熱狂的に李承晩大統領を迎え、「全韓国解放と民主国統一」を大観衆の前で呼びかけた。大韓民国独立!

 

しかし中共軍は秘密裏に北朝鮮内に侵入して、11月25日から12月6日に18個師団で西部戦線に総攻撃を仕掛ける。その後中共軍は70万といわれる大軍を投入して、翌年1月4日には再度ソウルが占領されるという事態になる。

 

米軍が空爆を強化し、国連軍も反攻して再度ソウルを奪回したのが3月14日だ。マッカーサーは中共軍の後方支援拠点である満州への爆撃を主張するが、4月11日トルーマン大統領によって司令官を解任される。

 

この年の6月休戦のための話し合いが始まるが、1953年7月27日に調印されるまで、3年と1ヶ月及ぶ勝利なき戦争が続いた。

 

この戦争による戦死者は韓国・米国・国連軍が45万余人、戦傷者は55万人を越え、国土は焦土化してしまった。10月28日李承晩大統領が平壌へ入城した時点では北朝鮮軍は壊滅しており、中共軍の介入がなければ、朝鮮半島は統一できるチャンスがあったのである。

 

その責任は毛沢東と中国にあることは国連も認めているところであるにもかかわらず、なぜ韓国は中国にこの謝罪と賠償を求めないのか。1992年中韓は国交を回復したが、韓国の李相玉外相は謝罪を求めないと明言している。

 

韓国の教科書も「中共軍の介入で戦闘は新たな様相を帯びるに至った」を記述しているだけである。日帝36年の侵略行為を声高に記述するのとはあまりに対照的である。このようなことであるから、日本の知韓派は韓国の対応を批判し嫌韓になるのである。韓国がもし中国に対しても厳しく責任を追及するならば、日本の嫌韓派も韓国に敬意を払うであろう。

 

1995年(平成7年)5月12日韓国の文教部長官(文部大臣)が金泳三大統領によって解任されという事件があった。彼はなぜ解任されたのか。大臣は「朝鮮動乱は同じ民族の殺し合いだったが、ベトナム戦争はアメリカの傭兵として参加したもので、大義名分の弱いものだった」という趣旨の発言をしたからだ。当時の朴正煕大統領は韓国と同じように南北に分断されたベトナムで南ベトナムを支援するのは正義であり、朝鮮動乱で韓国を支援した米国への恩返しでもあった。

 

韓国は10年間で延べ31万人の大軍を派遣して猛勇をもって名を馳せた。白馬師団や猛虎軍団で日本の新聞誌上にも紹介された。全斗煥大統領は白馬師団の連隊長であり、盧泰愚大統領は猛虎軍団の大隊長であった。韓国国内ではベトナム戦争への介入は好意的に報道され、「アジアの責任は韓国が持つ」や「今やアジアの外交をリードしているのは韓国である」などと自信満々であった。ここで我々は創起しなければいけない。

 

戰前の日本も「アジアの独立国は日本だけである。日本が敗退したら、アジアは永久に欧米の支配下に陥る。アジアの責任は日本の双肩にかかっている」と誰もが考えていた。日本帝国の使命をそのまま韓国が引き継いがのかと錯覚するくらいである。

 

文教部長官が途中解任されたのはなぜでしょうか。当時ベトナムに派遣された韓国兵の給料は米国持ちであり、韓国の平均給与の約2倍あった。韓国は派兵した10年間で輸出、外貨とも30倍に膨れ上がり、その間の経済成長は年10%近く(世界1位)、派兵した10年間で開始の1965年12月か ら発行した日韓基本条約により、日本の請求権支払い(10年間で民間も含めで8億ドル)で、韓国経済は奇跡的成長復興を遂げたのである。

 

文教部長官はこういう経済復興との引換の派兵を「大義名分の弱い」とか「米国の傭兵」と表現したのである。当然韓国の在郷軍人会は猛反発をして、「ベトナム戦争に派遣された韓国軍は平和の十字軍であった」「ベトナム戦争は自由と平和を守るための聖戦であった」と大統領に長官の罷免を求め、大統領は長官を更迭したのであった。

 

さてこの事件を日本と比べてみると面白い。日本の大臣が「大東亜戦争はアジア諸民族苦しめた大義名分の乏しいせんそうであった」と発言したら、韓国は抗議するだろうか。日本の首相は大臣を解任するだろうか。逆に「日韓併合条約は合法的に結ばれた」「大東亜戦争は欧米植民地勢力を打破して、アジアの安定をもたらす戦いで、侵略戦争のつもりで戦ったのではない」と発言したら韓国や中国のマスコミは大騒ぎするであろう。それより日本の反日マスコミはそれに輪をかけてこの大臣を非難して、時の首相は大臣を解任されるだろう。現実の何人もの大臣が更迭解任されてきた。

 

ベトナム戦争において、韓国軍のベトナムでの残虐行為は目に余るものがある。各界のベトナム人は、

 

「第2次世界大戦後ベトナムは仏軍との戦争を含め30年間に渡って侵略者と戦ってきた。そのため国土は破壊され、経済成長は遅れてしまった。その中で特に残虐で野蛮なのが韓国軍であった。村を焼き払い、死者の耳まで削いでいった。アメリカの捕虜になったほうが待遇が良かった。韓国の捕虜になったら殺されるのである。韓国兵はベトナム人を蔑み、人前で平気でビンタをとる。ベトナム人には美人が多いので、女は皆、慰安婦にされた。韓国との混血児は名乗り出ないので、はっきりした数はわからないが、1万人以上いるはずだ」、「現在、韓国企業がどんどんベトナムに進出しているが、彼らはベトナム人を見下げ、傲慢で暴力を振るう。ベトナム女性を妻にして混血児をつくっても、サッサと帰国して責任を取らない」。

 

韓国は悪評だらけなのである。

 

D.W.W.コンデ著 岡倉古志郎訳 「朝鮮 ―新しい危機の内幕―」より

 

「ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を防空壕の中へ押し込め、ナパームとガスで殺した。 アンヤン省の三つの村では 110人を、またポカン村では32人以上をこうしたやり方で殺したのである。 1966年2月26日、韓国軍部隊は 137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に防空壕の中へ押し込めて、 化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。8月までに、"勇猛な"朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。

 

○○○省では、3万5千人の人たちが、"死の谷"に狩り立てられ、 拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。 10月には、メコン河流域では、裸で両手両足のない19人の遺体が川から引揚げられた。 これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦したとの報道もあった。かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ投げ込んだ。

 

放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪――こんな記事は、ほとんど毎日のように続いている。 母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を免れることができないのだ。これは、たった一都市に起きた"南京大虐殺"どころの話ではないのだ。 これこそ、アメリカの新聞の力をもってしても、中国の南京で起こった話を語ることのできない、今日の"ベトナム民族大虐殺"なのである。つまり今日では米軍および韓国軍の検閲官が全強権を発動し、事実が明るみに出るのを妨げているのである」