第八部 日韓両国民への八つの提言 四、国際的視野から「慰安婦」問題を考えよう

誰も語らない「戦場慰安婦」の役割と追悼 

平成2年(1990年)3月「朝鮮と朝鮮人に公式陳謝を百人委員会」の事務局長格であった青柳敦子氏が、ソウルにある「太平洋戦争犠牲者遺族会」1000人の前で、公式の陳謝と賠償を求める発言をした事が発端なのである。「裁判に必要な費用、400万を準備している」とまで言って韓国人に訴訟を煽ってけしかけたのである。

日本では翌年8月、高木健一弁護士らが「戦後補償国際フォーラム」を開催してデモ行進をした。その年12月、韓国の遺族らが日本国を相手に提訴したのである。つまり慰安婦問題の発端は青柳氏と高木弁護士の売名行為と言ってよいと思う。

 

昭和40年の国交回復時、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」が結ばれ、3億ドル 無償金(1965年)(当時1ドル=約360円)と2億ドル 円有償金(1965年)そして3億ドル以上 民間借款(1965年)が決まった。―当時の韓国の国家予算は3.5億ドル、日本の外貨準備額は1.8億ドル程度であった―。「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」の第2条では、

 

1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

2 この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。

(a)一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益

(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて千九百四十五年八月十五日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの

3 2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。

 

と謳われており、議事録には、こうある。

 

両国及びその国民財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題には、日韓会談において「韓国の対日請求権要綱」の範囲に属するすべて請求権が含まれており、従って同対日請求要綱に関しては、いかなる主張もなしえないことが確認された。

韓国政府は2005年になってからこの交渉過程を公表した。日本側は日韓基本条約の交渉の過程で、韓国人への個人補償を日本政府が行うことを提案していたが、韓国側は拒否した。このため韓国政府が一括で経済協力金を受け取り、韓国政府が個人補償を行うということで両国間の合意がなされたが、実際には個人補償は非常に小さい規模でのみ行われ、経済協力金の大半は前述したように韓国のインフラ整備に費やされた。

 

当時の状況からやむを得ないという意見と、個人の権利を蔑ろにしたものであるという意見に韓国国内世論は分かれている。つまり遺族は日本政府ではなく、日本政府が支払ったお金をインフラなどに使ってしまった、韓国政府を訴えるべきなのである。次に慰安婦は軍が関与していないのである。軍は民間の業者に慰安所の設置を委託した。慰安所の経営者は慰安婦の募集して、軍の駐留地帯で営業したのである。

 

そして良識ある韓国人はこう言う。

 

「慰安婦問題は、日韓両国にとって恥部だ。強制の部分があったかもしれないが、全体的には金銭のやりとりがされている。『売春』も『買春』も同罪ではないか。こんなことを掘り起こせば、両国関係は悪くなる一方だ」。

 

平成3年12月から平成4年4月まで9人が、東京地裁に提訴したが、その訴状を見ると軍人や警察に連行されたのが3名、業者や肉親が6名―肉親(驚)―。その後はフィリピンや中国からも提訴される。ほとんどが証人もおらず、徴用ではないことを証明できない。訴訟には強姦事件もあるが、時効が7年であり20年以上は除斥で裁判対象にならない。平成7年著者が訪韓したときに、韓国人たちが元慰安婦を唾棄していたという。「あの連中の中には、最近まで売春を商売にしていた者がいる。

 

彼女らは戦時中慰安婦として稼ぎ、戦後も売春で稼ぎ、韓国政府に保障を要求し、日本からももぎ取ろうとしている。四重取りを狙っている」。当時の朝日新聞などのマスコミは扇動的な見出しで訴訟を煽り、支援者はさらに過激な言質で煽り立てていた。平成4年1月当時の首相が訪韓する―著者は当時の首相の名前は忘れたと書いているので名前は避ける―。昭和57年に官房長官をやった人である。その時の談話がある。

 

「歴史教科書」に関する宮沢内閣官房長官談話

昭和57年8月26日

一、 日本政府及び日本国民は、過去において、我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んできた。我が国は、韓国については、昭和四十年の日韓共同コミニュニケの中において「過去の関係は遺憾であって深く反省している」との認識を、中国については日中共同声明において「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し、深く反省する」との認識を述べたが、これも前述の我が国の反省と決意を確認したものであり、現在においてもこの認識にはいささかの変化もない。

二、 このような日韓共同コミュニケ、日中共同声明の精神は我が国の学校教育、教科書の検定にあたっても、当然、尊重されるべきものであるが、今日、韓国、中国等より、こうした点に関する我が国教科書の記述について批判が寄せられている。我が国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する。

三、 このため、今後の教科書検定に際しては、教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配慮する。すでに検定の行われたものについては、今後すみやかに同様の趣旨が実現されるよう措置するが、それ迄の間の措置として文部大臣が所見を明らかにして、前記二の趣旨を教育の場において十分反映せしめるものとする。

四、 我が国としては、今後とも、近隣国民との相互理解の促進と友好協力の発展に努め、アジアひいては世界の平和と安定に寄与していく考えである。

 

著者は、宮沢喜一氏の責任を言及する。

 

この人は外圧によって、教科書の内容を「政府の責任において是正する」と約束した人です。それ以来近隣アジア諸国における近現代史については、文部省は検定を放棄し、今や書い放題となりました。その原因を作った官房長官が首相になったのです。この人は事実に基づいて思考するに知性にかけており、センチメンタリズムの方を優先する人なのです。だから訪韓した時、涙ながらに反省と謝罪の演説をしました。だから韓国では、それまで報道していたことは、すべて事実だと信じられ、反日感情が増幅する結果となりました。

 

日本政府は慰安婦問題について調査したのだが、実際に強制連行していないのであるから、その証拠が出てくるはずがない。韓国政府はあくまでも強制連行を認めよと迫る。そこで韓国政府は韓国の慰安婦の証言を聞くように求める。そして日本政府は政治判断として強制連行を認めるためにわざわざ韓国へ調査官を派遣する。場所は反日デモをしている「太平洋戦争後勢者遺族会」の事務所で、元慰安婦の国家賠償を求める弁護団の福島瑞穂弁護士(当時)ら同席のもとで聞き取り調査を行った。

 

日本政府はその証言の裏付け調査なしに、その証言を唯一の根拠として8月4日に、河野洋平官房長官は元慰安婦の募集は「総じて本人の意志に反して行われた」と発表したのである。

 

これに対して韓国政府は冷静に対応する。盧泰愚大統領は文藝春秋平成5年3月号誌上―日韓摩擦・韓国の責任―で、日本のマスコミが韓国の国民感情に火をつけ、韓国のマスコミも感情論を煽り、両国を悪い関係に持ってゆこうとしていると指摘する。

 

韓国側には先に指摘した、「日本側は日韓基本条約の交渉の過程で、韓国人への個人補償を日本政府が行うことを提案していたが、韓国側は拒否した。このため韓国政府が一括で経済協力金を受け取り、韓国政府が個人補償を行うということで両国間の合意がなされたが、実際には個人補償は非常に小さい規模でのみ行われ、経済協力金の大半は前述したように韓国のインフラ整備に費やされた」。このことをよく理解しているのである。賠償を支払わなかったのは韓国政府であると。

 

戦場と性の問題は非常にデリケートな問題である。日本の教科書に慰安婦のことが記述されるということを韓国の良識派は反対し、著者も「教科書に載せることを中止させてもらいたい」と強く求められたという。慰安所という施設のあり方は、戦場の異常な状態を経験してない現代から見たのではその実態もわからない。ベトナム戦争に韓国は11年間に延べ32万人を派遣しているが、現地で聞くと、「韓国兵は良くなかった。ベトナムの女をすべて慰安婦にした。そのため生まれた混血児は1万人以上」だという。

 

各国の場合はどうか。米国は1942年、蒋介石を支援する空輸作戦を展開したが、パイロットの半数が売春宿で性病に罹患したため慰安所の必要性に気付いた。米軍が日本へ進駐したとき、日本政府はその施設を作るために予算を割いたが、ある大臣は「日本女性の貞操が守られるなら、安いものだ」と言ったという。それはソ連が満州に侵攻してきた時、満州にいた日本人女性は手当たりしだい陵辱された。身を守るため頭を丸めズボンを履いて男に変装したという。そのことが記憶にあったからだ。

 

戦場の慰安婦たちの心意気

韓国独立記念館に慰安婦コーナがあり、慰安婦4人の写真が飾られている。この4名はビルマ拉孟要塞にいた朝鮮人慰安婦なのである。要塞は天草出身の日本人15人と朝鮮人5人の計20人の慰安婦がいた。

 

19年5月12日から蒋介石軍の精鋭部隊の攻撃にさらされた。守備隊長金光少佐は慰安婦を道連れにすることが耐えられず、後送か投降させることを考えていた。しかし彼女たちは後送も投降も拒否したのである。それほど熱い家族気分が育っていたという。彼女たちは地下壕を廻って兵を慰め、敵陣に切込隊が出撃する前には、サービスしたのである。激戦では炊事を手伝い、弾薬を運び、戦傷者の手当をした。

 

最後が迫ってくるとT伍長とS嬢は隊長が媒酌人となり結婚式を挙げたという。4日後2人は同じ場所で戦死をした。日本人慰安婦15人は、全員投降を拒否して、青酸カリを飲んだり、手榴弾で自決した。朝鮮人5人は投降して、その後4人を米軍が撮影して、その写真が独立記念館に掲示されているのである。